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ヤングケアラーの実体験

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このブログを開設した理由

 

ヤングケアラーを実体験

私が16歳の頃でした。
母が若年性アルツハイマー認知症になり、私はヤングケアラーになりました。
母子家庭で一人っ子だったもので、突然にして、当然のことながら、全部私独りにのしかかってきました。
背負いきれなくて、誰かに助けてもらいたいけど、当然友人には言えませんでした。
話したとしても、大人ですら理解できないのに、同学年の友人が理解できるはずもありません。
親戚や役所も頼ってみたものの、当時は、若年性アルツハイマー認知症は認知度が低く、やはりアテにならないどころか、母が怠けていると考えられてしまい、対応は冷酷でした。
もちろん私もまだ認知症が理解できません。私自身も母が怠けていると思っていました。

 

とにかく働く

当時、私は、中学から始めた吹奏楽をこよなく愛して青春真っ只中でした。
将来は、吹奏楽部の顧問には音大を勧められ、でも子供の頃からの考古学者になる夢もありました。
どちらの道にも進学できるだけの学力はありました。その2択で葛藤してました。
もちろん、母子家庭なので生活水準はかなり低く、自分の学費と趣味・遊びの収入源作りのために大型スーパー内のラーメン屋でバイトをしていました。
しかし、母が働けなくなり、生活のための収入源が0になってしまったため、生活費を稼ぐためにもっともっと働かなければならなくなりました。
とにかく働かないといけなくなり、とりあえずなんでも良いから、すぐに働ける求人に応募しました。
介護職との出会いでした。
介護療養型病棟で看護補助の仕事に就くことにしました。
当時はまだ、准看が10年の経験で正看になれる時代でした。
合法か違法か、年齢まで労基で決まっていたのかはわかりませんが、16歳から夜勤をさせてもらうことができました。
学校も続けたいので、平日は学校の近くのスーパーでバイト、(金)(土)(日)は病院で夜勤をしていました。
 
 
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生活保護、でも・・・

しかし、母の徘徊が進み、目が離せなくなってきました
夜も下着のみで外を歩きまわったり、万引きをしたり、帰宅して玄関を開けると包丁が飛んできたり・・・
仕事も学校も行けなくなってしまいました。
何度も何度も市役所に行き、生活保護の相談をしました。
それでも、ケースワーカーの理解は得られませんでした。
母が働けなくても、十分私が働ける年齢にあるという理由から、生活保護は受給できません。
ケースワーカーに繁華街の水商売を紹介すると言われました。
そんな折、高校の先生が知人の議員を紹介してくれ、やっとのことで、生活保護申請にいたりました。
 
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不正受給

しかし、それでも、私の年齢が生活保護却下の理由になるとのことで、ケースワーカー世帯分離を勧められました。
私は、指導されるがままにその手続きを行いました。
それが不正だということを当時17歳の私が知る由もありませんでした。
 
その約1年後のこと
ケースワーカーが役人数人で「ネタはあがっとんじゃ!!」とズカズカと自宅にあがってきました。
やくざ映画そのものでした。
 
 
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虚偽なくしっかり収入申告をしていましたが、私の給料、母の傷病手当が不正受給という理由で差し押さえにあいました。
その後、電気、ガス、水道と順に止まり、ライフラインがなくなりました。

福祉のプロを目指して

当時、介護保険が制度化され、勤務先の上司がケアマネになりました。
まだ、ケアマネの仕事がどういうものかはっきり理解していませんでしたが、すごくかっこよく見えました。
手に職をつけるという目的と、二度とあの時のような屈辱を受けたくない。それに、少しでも介護難民を助けたい。そんな思いでプロを目指そうと考えました。
病院、特養、老健、デイ、在宅、有料…私は、医療福祉に関するすべての事業形態で経験を積みました。
20代で有料老人ホームのサービス提供責任者、30代でグループホームの管理者を経験させていただきました。
そして、2017年ケアマネに一発合格しました。
さらなる展望は、居宅は主任ケアマネ、その傍らでは、介護保険では賄えない制度外の支援を有償ボランティアから事業を始めようとしていた矢先でした。

要介護状態

40歳
腰椎椎間板ヘルニア・腰部脊柱管狭窄症になりました。
術後も後遺症で左足に麻痺や痺れが残存し、約半年間の寝たきり生活でした。
現在は、少し改善してきているものの、やはり、杖や歩行器がなくては200mも歩くことができず、介護サービスの利用者になりました。

フリーランスに方向転換

それでも、私はまだまだ社会でやり残したことがあります。
なによりも働き続けたいという気持ちがあります。
介護ベッドの上でクラウドソーシングで社会復帰をする道を選びました。
現在は、クラウドワークス等を利用し、福祉関係のWEBライターやネットショップの運営を一部委託していだいてます。
私は自分が描いた目標を断念するつもりは毛頭なく、情報を通じて少しでも福祉難民の力になりたいと考えブログを開設することにしました。
今後、仕事の合間を縫って、少しずつ情報を追加していきます。